私から見れば神の領域の
中村勝宏ムッシュ
中村ムッシュと出会ったのは今から25年前、中村ムッシュがフランスから 帰国したばかりの時です。
私が上京しようと思ったきっかけ、そして、フランス料理のプロを目指すことになった、そして、中村シェフのモンブラン叩くきっかけとなりいわば私にとってみれば、人生を変えた人です。
このフランス料理の業界で、この方を知らない方はいないと思います。
日本人初のミシュラン、洞爺湖サミットの総料理長、ホテルエドモンドの総料理長、豪華客船飛鳥の総料理長 など肩書きは、沢山ある、料理人からすれば、神のようなスーパーシェフです。
そのスーパーシェフが来て、料理を作って下さる、料理人にとってみれば この上ない勉強です。
私もフランスに研修に行きましたが、レベルが違います。
私たちのフランスは、シェフの下で働くただのアプランティ中村ムッシュはフランス人シェフのレシピーを書いたり、代わりにシェフを 努める、いわば、フランスシェフからも絶大なる信頼を得ている いわば、両国の橋渡しをしている、スーパーシェフです。

木曜日に小松空港へ迎に行き、にこやかに会談、そして打合せでも弊社のスタッフ、そして金沢からレストランのオーナー、ホテルの料理長など当日勉強したいスタッフが沢山来ていました。
そして 密かに伝えてあったことがあるのです。
『コックコートで現場に入ると、人間変わるよ。』
25年前もそうだったように、人間25年たっても料理に対する 情熱は変わりません。
プレパラが始まり、5分、罵声のごとく始まる、怒りの声。違う、違う、もったいない、早くの連発。
最初スタッフはとまどいもありましたが、最初に何十回も言ってありましたので すぐにムッシュについて行くことが出来ました。
それでも今日一日のプレパラで、5年分は怒られたような 気がします。自分の小僧の時の記憶が甦ってきました。
サンドランスもよく怒りましたが、絶対にそれ以上、怒っている内容は 当たり前のこと、それでも人間は当たり前のことが出来ないんですよね。
2日目、朝9時にキッチン入り、またまた5分で罵声のごとく 怒る、怒る。
でも楽しい これでこそ、わが道を進んできた道、有名になること、そして一番を とり続けることは、怒られることの連続。
プレパラも気付くと、もう夜中の2時、あっという間の1日。
ムッシュをホテルまで送って、それから、通常業務のプレパラ終わったら4時をまわっていた。
ムッシュに帰りの車の中で、今日もありがとうございました。 と声をかけると、「若い時代に戻った気持で働けた」と言っておりました。

スタジェで働いてくれた半分以上がプレミナンスの卒業生。
自分で店を経営しているスタッフ、ブライダルのシェフ、ホテルのシェフ など様々だが、今プレミナンスがあるのも、卒業生のおかげ 本当にありがたいものだ。
ムッシュが帰った後には、スタッフに明日は当日、「今までの100倍怒るよ」と伝えると、みんな揃って「エッ」の声。
当日本番、私の勘が的中、当たり前ですが「100倍」怒っています。
後は、皆さんの想像におまかせします。 感覚で言うと、心が折れます。 中村シェフと働けれるなら、どこの3ッ星でも勤務できると思います。
私の勤務していたレストランもフランス人シェフでしたが、そこまで厳しくはなかったが、環境的には、コック27名が 働くレストランでした。
そして、その中のスタッフで、 フランスに行っていないのは、牧野と私だけ。そんな環境で働いていると、フランスで働くことは 当たり前になってきます。
今考えてみると、中村ムッシュと働いた経験があると、フランスではどこでもついていけるほど成長します。
それほど偉大であり、なおかつ料理に対する情熱、本当に細かい、 そして本当に厳しい、当たり前のように美味しい、想像がつかない魔術を使います。

でもコックコートを脱ぐと、とても優しいシェフです。
料理人には沢山のタイプがいます。でもあえて厳しいお店の門を叩く人はごく少数。
でもそのごく少数が、日本の伝統、フランス料理 の伝統を引き継いでいるのです。
お客様も美味しいという大反響、サインをもらう人ばかり。
料理人をしていて、サインをねだられることはまずないでしょう。 中村ムッシュだからこそです。
ムッシュはまだまだ67歳、75歳までは現役にこだわると言っていました。
これからもお体を大切に、ご自愛下さいますようお願い致します 本当にありがとうございました。そしてご来店頂きました お客様本当に感謝を申し上げます。 これからもスタッフ一同更なる、料理道に精進していき、お客様に 喜んで頂ける接客を目指してまいります。 |